ただ、ふたりで生きること【本編】 - 3/5

 

そうして家康は石田家を去っていった。
あの後、石田夫妻の金融口座には予想以上の多額の金が振り込まりており夫妻は特に不満はなかった。
家康がいなくなり三成がまた何か起こすかもしれないが、彼ももう大人だ。
迷子になどなるわけもなく、一時期反発していた三成も自分たちが斡旋した会社に就職が決まっていて安心もしていた。
徳川家については家康を引き取ることを決めた時に調べていたがその名前については結局何もわからず、もし何かあれば突き返せばいいと思っていた。
先日のように。

三成はあれから剣道の稽古に勤しんでいた。
あの日、成す術もなかった自分を悔やんで悔やんでも悔やみきれず、ただひたすらに剣をふるった。
たかが段を所有しているだけの一介の大学生の自分があろうことか真剣を持ち出し本気で斬りかかったことに後悔はないが、それが何の役にも立たなかった。
あの黒づくめの男は、今まで放置していたくせに死してもなお家康を守ろうとするような、そんな目をしていてひどく気に食わなかった。
戦地を経験したような目つきと身のこなしに、それでも三成は怯まなかったが経験はどうにもならない。
まさか今からどこかの国の傭兵となるわけにもいかず、ただ剣道という武芸で己の精神と腕を鍛えるほかなかった。
もはや、魂の片割れともいえる家康を取り戻すために。
それから三成は稽古の時間以外は徳川家について調べていた。
大学の図書館、国立の図書館など新旧様々な文献が揃っている施設で歴史や地方について調べてみたが、徳川という文字は一切見つけることができなかった。
藁にも縋る思いで信用性の低いインターネットの世界を漁っていると、いかにも怪しいいわゆる裏サイトと呼ばれるなかにその名前を見つけた。
そのサイトいわく、そもそもこの日本に”徳川”という姓は存在しない。
何故なら、この国を真に裏から動かしているのは徳川だからだ。

 

車を林道の適当な場所に止め、三成は真剣を持って山の中を歩いていた。
ふざけた陰謀説のようなものを目にして以来、それでも他では一言も見ることができなかった徳川の存在について更に調べてみたものの、それ以上詳しいことはわからず、というよりもそれ以上は本当に妄言のようで三成にはどうでもいいことだった。
その中でひとつだけ、三成を動かすこととなる情報があった。
その隠れた所在地についていくつも嘘冷やかしのような情報があったが、三成は直感でそこに家康がいる、と感じたのだ。
幼き日に家康を見つけたように。
恐らくそこにはあの黒づくめの男や、もしかしたら思いもよらない防衛システムがあるかもしれなかったが、誰に助けを求めることができるわけもなく策を練るほどの経験や技量があるわけでもなく、三成はただ己の刀一本でそこに立ち向かう。
三成の刀を持つのと反対の手には金色の小さなお守りのようなものが握られていた。
そのお守りには葵の紋がある。
それはあの日、家康を奪われ魂の抜け殻のようになりながら部屋に戻った三成が、ふたりで眠った布団の上に見つけたものだ。
初めて見たそれは、恐らく家康が短刀を取りに戻った際に置いていったものなのだろう。
三成はそれを握りしめ、家康を取り戻す決意を一層固めたのだった。

ほとんどの樹木は葉を枯らし落ち葉が敷き詰められている道なき森の中を進んでいた三成は、ついにその屋敷を見つけた。
専門家でも素人でも本気で探そうと思えば見つけられそうなものだが、現時点ではっきりとされていないということはもしかしたら見つけたとしても帰れなかったのかもしれない。
そんな雰囲気も漂わせている屋敷だった。
深い森に囲まれた大きな屋敷の、森と敷地の境目近くまで三成は近づいていた。
そして、その敷地の広い日本庭園内に家康はいた。
羽織と袴を身につけた姿は家康によく似あっていて、三成は刀と葵のお守りを深く握りしめた。
家康は、あの日の憎き黒づくめの大男と笑顔で話している。
この一瞬だけを切り取れば家康はここでうまくやっているのかもしれないが、三成は断じてそんなことは認めない。
それに、あの笑顔は自分が知っているものではない。
あれは本心を隠した笑顔だ。あの大男を安心させるだけのためのもの。
三成の知っている家康の笑顔は、もっと眩しくて心地よい温もりをくれるものだ。
だから、家康はここにいてはいけない。自分のもとにあるべきだ。
三成が機を伺っていると、大男は家康のもとを離れ屋敷内へと戻っていった。
一人になった家康が見せたのは、三成のまったく知らない顔だった。
眉を寄せて目を伏せ、ぐっと歯を食いしばって何かに耐える。
閉じられた目尻から、つと一筋の涙が落ちた。
そして、薄く目を開けて紡がれた言葉は。

「……みつなり……」

ザッと垣根を越えて三成は徳川の敷地内に侵入を果たした。

「三成…!?」

驚く家康の前に歩を進める。

「何故ここに…!いや、見つかっては殺されてしまう!早く逃げ―――っ」

突然の三成の登場に動揺し慌てる家康を、抱きしめた。
もう絶対に離さないというように強く。
ああ、この温もりに何日触れていなかったことだろう。

「みつ、なり…?」
「私のもとから離れるな」

それだけを言って、家康の頬を撫でながら上を向かせると口付けた。

「んっ…」

奪われてからの時間を補うように深く。
この存在なくしては自分の存在意義もなくなると確信しながら。
家康のすべては自分のすべてだと。

「っ…ぁ……はっ…」

強い口付けからようやく解放された家康は、うっすらと頬を紅潮させて息を整えるために三成の肩に顔を埋めた。
三成は家康の後ろ頭のその短い黒髪に指を絡ませて自分の体に押し付けた。
離れたくない、離れられない、離さない。
真冬の空の下、きつく抱きしめてその温もりを感じる。

「みつ、なり…苦しい…」

小さく呟かれたその声に、仕方なく三成は腕の力を緩めた。
抱きしめた腕はそのままに。
家康が自分より少し背の高い三成を見上げて、寂しそうに微笑んだ。
そんな顔を見たいのではないのに。迎えに来たのに何故そんな顔をする。

「なあ三成…」

どこか諦めたような声音で静かに話し始めた家康に、三成の全神経が尖り始めた。

「…この日本を真に動かせるのは首相でもお上でもない。わしなんだそうだ。…わしの一声で戦争でも何でも起こせる」

三成の神経がぶわっと逆立って家康の柔らかな喉を突き刺しそうになる。
本当だったのだ。あのふざけた陰謀説は。
家康の”価値”が何だろうと、三成にとってはただひとりの、ただひとつの、誰にも譲れない魂の半身。
家康がなんと言おうと、ここから浚ってどこか遠くへ。
緩めていた腕の力を再び強めようとした時。
家康の表情がぐっと痛み、喉から絞られるような声でその言葉が放たれた。

「わしは、そんなものになんてなりたくない…っ!」

胸が押しつぶされるかと思うほどに抉られた家康の本音に、三成は歓喜と憤怒と焦燥を持って家康の手を取りここから駆け出そうとした。
だが、それは虚しくも遮られた。
パンっという軽い音とともに三成の頬に一筋の赤が走る。
数人の黒づくめの男たちが現れ、あのひと際大きな男が発砲したのだ。

「三成っ…!」

事の重大さに危機を持った家康は三成を守るように背にして男たちに向かい合った。
そして懐から短刀を取り出し、自らの首にあてた。
本気を表すようにぐっと力をいれて薄皮一枚傷つけて血を流してみせる。

「来るな!三成に何かあったらわしはここで自害する!」
「!!」

その場にいる家康以外の誰もがその決意と迫力に圧倒された。
家康の本気を感じた三成も一瞬体を強張らせていたが、振り向いた家康の力強い瞳の笑顔に自分もうっすらと笑ってみせた。

「行こう!」

家康が三成の手を取って道のない森の中へと駆け出す。
三成は声を上げて笑いたかった。
自分が手を引こうとしたのに逆に手を引かれている。
楽しくて仕方なかった。

「家康!」
「何だ!」
「私から離れるな!」
「当たり前だろう!」

三成は引かれている手を急に自分に引き寄せて、バランスを崩した家康の体を受け止めた。

「っ…!?三成!急がなければ―――っ…んっ…」

唇を重ねて温もりを確かめる。
この高揚した気分のまま今すぐ抱いてしまいたいほどだったが、追っ手が迫っているのはわかっている。
奴らに見せつけてやりたいほどだ。
貴様らの主が自分の下ではどんな風に乱れて熱を煽るか。
家康がどんな甘い鳴き声で自分を求めるか。
見せつけてやりたいが絶対に誰にも見せはしない。
あれを知るのはこの世で自分だけ。

「っぁ…、三成!急ごう!」

そう叫んだのは家康だったが、今度は三成が手を引く形になる。
車を止めてある場所まで走り抜ければ逃げ切れるかもしれない。
道なき道だったが三成には道が見えていた。
積もった落ち葉に足をとられながらも冬の剥き出しになった枝でふたりとも手や顔に傷をつけながら走りにくい森の中を走り、林道が見えたと思ったその時、三成のすぐ横の木に銃弾が打ち込まれた。
それでもふたりは駆け抜けようとしたが、どう回り込まれたのか、目の前にあの大男が立ちはだかったのだ。

「っ…忠勝!」

家康が切羽詰まった声で男の名を呼び、三成は持っていた真剣を抜こうとしたがそれはあっさりと大男に弾き飛ばされた。

「なっ…!」

反撃する隙さえ与えられなかった三成の隣で、家康は短刀を取り出して再び自らの首に向けた。

「忠勝っ…、頼む!見逃してくれ!!」

忠勝と呼ばれた男はじっと主君を見下ろしていたが、三成が無謀にも素手で男に向かっていきまたも難なく腕をとられ、今度は鈍い音をたてておかしな方向に捻じ曲げられた。

「ぐぁっ…!」
「三成!!」

三成は俯せに完全に地面に押さえつけられ、悔しさと苦しさを持って男を睨みつけた。
男は息ひとつ乱さず三成を押さえつけ、銃口をその頭にぴたりとつけた。

「忠勝!!やめてくれ!!」

三成が傷つけられているそんな光景を目の当たりにした家康は血の気を引かせて輝きを失いつつある金色の目を見開いて振り絞った声でそう訴えた。
忠勝は絶対に自分を傷つけない。けれど三成には容赦なかった。
三成は血の気が多くてすぐに敵を作るが自分には優しかった。
どうやって調べたのかここまで来てくれた三成。
深い口付けをくれた三成。
強く抱きしめてくれた、離れるなと言ってくれた。
でも…
最強と言われる忠勝相手にこの場をふたりで切り抜けるなんてことは到底無理だとわかっていた。
首にあてた短刀をぐっと握りしめる。

「……わかった…わしはあそこに戻るから。ただし三成には何もするな。これからもだ。それが守られないならわしは今度こそこの首を掻き切ろう」

穏やかにそう言った家康に、忠勝は三成を押さえている力を緩めようとしたが。

「ふざけるな家康!!私から離れるなと言っただろう!貴様も認めただろう!!―――!?」

苛立ちに叫んだ三成の、左足が折られて外側に投げ出された。
だが、家康をこの手に取り戻せるなら腕や足の一本や二本くれてやる!と凄まじい殺気を持って忠勝を鋭く射抜く瞳を向けたが―――
三成の顔に真っ赤な血飛沫がかかった。
三成のものでも忠勝のものでもない。
首から鮮血を噴き出した家康が、三成の前でスローモーションのようにゆっくりと倒れた。