【吉野の花見・仮装・能楽会】
秀吉殿は本当に突拍子もない派手なことをされる方だ。
真面目で堅実に見える秀吉殿だから、実際に発案しているのは半兵衛殿なのだろうが。
この度は全国の大名、その妻子、それに近隣の農民たちにも興味のある者は来るようにと高札を出して多くの人を集め吉野の山で花見をするという。
大名だけでなく民たちにも呼びかけたのは真に感心すべきことだ。
花見と言ってもただ花を見る集まりではない。
大名たちはそれぞれに小屋を設けてそこでもてなしをし、更には参加条件として仮装なるものをしなくてはならないそうだ。
仮装とは、普段の自分とは違う衣服を身につけてそれらしい振る舞いをすることなのだそうだが…それについては不安しかないというのが正直なところだ。
花見の余興として最近秀吉殿が気に入っているという能の会も行われた。
義元様の元にいた頃に稽古を受けていたことがあるワシも当然演じることを求められた。
実は今のワシは妊娠25週めでな。
そう、三成との二人めの子を授かっているんだ。
だいぶ腹も大きくなってあまり人前に出られるものではないのだが…匙からも辛くないのなら動いた方がいいと言われているし秀吉殿たっての所望とあらば断ることなどできない。
そうして無事に終えてきたのだが、小屋に戻るなり三成に叱られた。
「どういうつもりだ家康!」
「何がだ?」
なにしろワシの前に演じた者がこれがまた見事に素晴らしい舞でな。
皆が感嘆するなかで久しぶりなことと腹の子に気遣いながら演じるのはなかなかに大変だったが皆にはとても楽しんでもらえたと思う。
「なぜわざと下手を演じた!」
「うん。ワシは元々能に堪能ではないよ。稽古を受けていた時もいつも叱られてなぁ」
それでも何かを身につけること、吸収できることがあるならいつかこの身に役に立つかもしれないと楽しかったものだ。
当時を思い出しながら笑みを浮かべていると三成は一層険しい目つきになってしまった。
「腹の出た義経などあるものかと大笑いされていたではないか!」
「それについては義経公には申し訳ないことをした」
「そういうことではない!」
三成が何に怒っているのかはわからないが、”石田三成の妻”としてワシが笑われるということは三成が笑われるということにもなると、今になって気づいた。
憤って少し頬を赤くまでしている三成に、ワシは申し訳なく微笑んだ。
「すまなかったな、三成。お前のことまで考えが至らなかったワシが悪かった」
「何を言っている?家康」
本来は子役が演じる義経公の、少しきらびやかな格好のままのワシは三成の頬に手を伸ばして顔を寄せた。
「皆が笑って楽しんでいた、あの光景をワシは守りたいと思う。お前には恥をかかせるようなことになってしまってすまなかったが、今回だけは許してくれないか」
そう詫びて、三成の薄い唇の端に軽く口づけた。
泰平を願うと同時に、目の前のこの男が愛しくて仕方なく。
三成の肩に額を乗せて背に手を回すと、三成の手がワシのうなじを撫でた。
烏帽子をかぶっているからそこにしか手の行き場がなかったのかもしれないが、ワシはぞくりと湧いてきてしまった熱をおさめようと話を逸らせた。
「そうだ、独眼竜も山伏の格好をして皆を楽しませていたというぞ?」
「誰だそれは」
「あ、うん、お前は会ったことなかったか…?」
いや、小田原の際に会っている気がするのだが。
「ちちうえー!ははうえ!はやくきがえたほうがいいってただかつおじちゃんがいってます!」
突然の甲高い声に驚いて三成から離れようとしたワシだったが、三成の手にしっかりと腰を掴まれてかなわなかった。
「ははうえ!はやくはやく!」
この甲高い声の主はワシと三成の息子、重家だ。
半兵衛殿が本当に豊臣軍の皆にワシが母親だと触れ回ったことから、『ははうえ』と呼ばれることになってしまった。
何も知らぬ者が見たら何事かと思うのだろうが、そういえば能の前にふいに会った独眼竜からもあの憎めない笑みで『ははうえ』と声をかけられたから案外日の本全域に伝わっているのかもしれない…
「ははうえーちちうえもははうえをはなしください!」
三成によく似た顔で育った重家に裾を引かれるが、腰に回されている三成の手に引き寄せられてワシはどちらにも動けなくなってしまった。
「三成、重家の言うとおりだ。そろそろ仮装の支度もしなくてはな?」
宥めるように三成を促したワシだが、本当はあまり気が進まない。
なにしろワシらが仮装する予定なのは…
だが重家の希望でもあるし、ワシは三成の仮装も見てみたい。
「なあ三成。お前の勇姿を早く秀吉殿と半兵衛殿に見せなくてはな?」
「ふん」
三成の手がワシの腰から離れて着替えるために奥へと行ってしまう。
離れてしまった手を少し寂しく思いながら、同時に急激に体の重みを感じた。
ああ、もしかして三成はワシの体を支えてくれていたのか。
確かに長く立っているから腹が重くてな。
自分でも気づいていなかったのに三成の細やかさには本当に惚れ直してしまう。
あ、いや、そうではなくてな。
ワシも着替えなくては。
しかしこれは本当に許されるのか?
何の仮装をしようかと三成と相談していた時、重家が無邪気にも言ったのだ。
「のぶながこー!ひでよしさまよりつよいとききました!」
「待て三成!自分の息子に刃を向けるな!」
小さな重家の首に三成が刀を当てた時は本当に心の臓が止まるかと思った。
「重家、この世で一番強いのは誰だ」
「えっとー…ひでよしさまです!」
「そうだ。違えるな」
三成の教育は過激すぎると思うのだが生まれた頃からのやり取りのせいか重家が泣き出すようなことはなく、ワシの方が気を揉んでしまう。
そうして蘭丸になりたいと言った重家と、信長公に扮した三成がワシの前にいる。
………うん、ワシの知っている蘭丸よりも小さな重家が背丈に合う弓を作ってもらって構えている姿はとても可愛らしいと思う。
信長公の鎧に模した甲冑を身につけ大振りな刀と銃を持った三成もとてもよく似合って…い、ると思う。いつもの戦装束も格好いいがこれはこれでまた夜の帝王感(独眼竜から聞いた言葉だから使い方が正しいかはわからない)が出ていていい…かもしれない……
しかしワシは正直言って複雑だ。
信長公は幼少の頃からの憧れだった。あんなことがなければ…
ワシは今も信長公と共にいられたのだろうか。豊臣に降ることもなく、三成とこうして出会えることもなく…
考えても仕方がない。
ワシは”今”を生きているのだ。
三成と、重家と、そしてお腹の子と。
せめてワシだけは忘れない…信長公、あなたの雄大なる瞳を。
濃姫様、蘭丸…そちらではどうか安らかに…
「家康。足をはだけ過ぎだ。何とかしろ」
「え、あ、ああ…」
ワシの思考を遮って三成の手がワシの着物の裾を引っ張っている。
言いたくはないが、そう、ワシは濃姫様の…格好をしているのだ。
なぜ誰も反対しなかった!?
重家に泣いて頼まれては拒否することもできなく、織田家に扮することを半兵衛殿に相談した三成によると面白そうだからいいんじゃないと言われたというが、なぜ誰も止めなかった!
しかも妊娠25週めのワシの腹ではこれは本当にひどい有様でとてもじゃないが人前に出られる格好ではない!
実は衣装合わせをした時よりも腹が出てしまって思っていたよりも更にひどいのだ。
そのせいで三成の言うように片足が丸出しになってしまっている。
濃姫様お許しを!!
今にも信長公の渋い声で叱られそうな———
『いーとーたーけー』
「ひっ」
本当に信長公の声が聞こえた気がしてワシはきょろきょろと辺りを見回した。
「どうした家康」
「あ、いや…なんでもな———」
ワシの前に立つ三成のその向こうに、透けた信長公と濃姫様と蘭丸が…見えた。
固まって動けないワシに、蘭丸が舌を出し、濃姫様が優しく微笑みながら片目を一瞬だけぱちっと瞑ってみせ、信長公がただ悠然と笑んでいる。
「家康、何を呆けている」
三成に肩を掴まれて目を逸らした一瞬後、三人の姿は見えなくなっていた。
そうだ、三成は信長公の恐ろしさを知らない。
ワシがこんなことを許したとあったらあの世でどうなることか!ひいては三成の身が危ない!(あの世での話とはいえ)
「三成、やっぱりやめよう」
「なぜだ」
「うん、ほら、ワシの格好ひどいだろう?とてもじゃないが皆に見せられ」
「どこがひどいというのだ」
「え、よく見ろよ。男のワシが肩を半分、片足を丸出しにしているなんて気持ち悪いじゃないか」
「貴様は普段から肩を出しているだろう。それに私の言うことを聞かず第二衣装の時は胸も腹も晒しているではないか」
「あ、うん…そうだな…いや、だめだ。そうだ、この格好だと実は帯がきつくてな、腹の子にも窮屈だろう…?」
嘘じゃない。けれど、今のところそれほどきついわけではなかったがそう言えば三成は子どものために許してくれるだろう。
「貴様が辛いのならば無理強いをさせるつもりはない。私の鎧も貴様を抱えるのに邪魔だ。重家はそのままでいいな?」
「うん。ありがとう三成」
あれ?ワシが辛いとは言ってないと思うんだが…三成は本当に変なところで気が回るな。
そうしてワシと三成は用意していた仮装をやめて、重家だけは蘭丸の格好のままで(すまんな蘭丸…)秀吉殿と半兵衛殿にその旨を報告しに行ったところ、半兵衛殿に『じゃああれを使いなよ』と渡されたものを身につけてみれば、それは三成は狐の耳と尻尾、ワシは狸の耳と尻尾という意味のわからないものだった。