光とともに - 2/4

三日後。
暗い世界で苦しみもがいた末に息をすることもできなくなった家康は、現実に目を覚ました。
白い天井。見知らぬ部屋はうっすらと漂う薬品の匂いからここは病院なんだなと思った。
ふと横に感じた温もりに目を向ければ、そこには座ったままベッドに腕と頭を乗せて眠っている三成がいた。

「っ…」

彼と再会してすべての記憶を取り戻した。
彼にもあの瞬間記憶が甦ったことを感じ、前世の家康が彼の怨恨を受け止めた。
それは、今の家康の中でも渦巻いていてひどく苦しい。
陽の光にきらきらと反射する三成の銀の髪が眩しくて、家康は切なげに眉をひそめた。

「みつなり…」

掠れた、ほとんど声にならない声で唯一の愛しき名を呟いた。
お別れだ、と最後に彼の名を呼んだ記憶が胸を蝕む。
夢のために手折ったその命が、今また時を越えて目の前にある。
自分などが触れてはいけないとわかっていても、震える指で銀の髪にそっと触れた。

…おまえは変わらずに綺麗だな…。それに比べてわしの魂は穢れすぎている…
今のわしには耐えられそうもない。なぜ、この400年の間に浄化してくれなかったんだ…

そこだけこの世から切り取られたような静かな病室は、あたたかな陽を取り入れながらも光には満ちていなかった。

 

ふと三成が目を覚ます。
三日三晩寝ずに家康のそばにいたのについにうっかりと眠ってしまったようだった。
寝不足からの起き抜けの目に映ったのは、空っぽのベッドだった。

「家康っ!?」

シーツはまだうっすらと温かかったが、目を覚ました家康が散歩や買い物に行っているなどとは到底思えなかった。
三成は己が感じた恐ろしい感覚に、病室を飛び出して廊下や階段を走った。
途中幾人もに驚きの顔や注意を受けたが三成にそんなものは見えていない。

家康、どこへ行った…!家康…家康…家康ぅ…っ!!

当てもなく病院内を走り回ったが家康を見つけること叶わず、外に出て周りを見渡した時。

―――三成…わしのいない世界で、おまえは今度こそ幸せになってくれ…

声が聞こえた気がした。
ぞわっと全身の毛を逆立てて、三成は首がとれそうなほどの勢いで上を見上げた。
屋上の、フェンスの外側に見つけたその姿。

三成は激しく憎悪にも近い感情を燃やしながら屋上へと階段を駆け上がった。
鉄製のドアを勢いよく開けたその先のフェンスの向こう側に、病衣のまま立つ家康がいた。

「家康ぅぅっっっッ!!!!!」
「っ―――…みつ、なり……」

三成は、家康までの距離を踏みしめるかのようにゆっくりと近づいた。
三成の登場に動揺を隠せない家康は震えたまま立ちすくむ。

「家康…何をしている。そんなところで何をしている!!」

決戦の時のような低い苛立った声で己を見つめる三成に、家康は苦しさで胸が破裂しそうだった。

見るな、見ないでくれ。その瞳でわしの罪を暴かないでくれ。

「家康!!何度言わせる!貴様は今、何をしようとしている!!」

フェンスの前まで近づいてきた三成に、家康は痛むほどに眉を寄せて歯を食いしばり骨が軋むほどに拳を握った。

「三成……今の、わしには無理なんだ……わしの夢のために奮ったこの拳の向こう側に浮かぶ、数え切れないほどの顔…彼らの呪詛が聞こえる……けれど、おまえには偽善と言われたが、あの頃のわしは正義感や責任感ではなく、本当に心から素直に泰平の世を願っていた。…でも、この時代に平凡に生きてきた今のわしには、この記憶は耐えられない…重すぎて、今にも押し潰されそうなんだ…っ…」

痛切にそう訴える家康の表情が更に痛々しいほどに険しくなり、開いた己が両手を見下ろして続けられた。

「…そして、おまえとの戦い…おまえの首を落とした時の血が今もこの手に見える…これほどの残酷な想いにわしは耐えられない…っ!!」

家康の必死な訴えに、三成はフェンスを乗り越えてその胸倉を掴むと煮えくり返る腹の内をさらけ出して言葉をぶつけた。

「ふざけるな!!貴様が今のこの世を作ったんだろう!!私を屠ってまで!!なのに貴様はそうやってまた私をひとりにするのか!!」
「っ……」

三成の凶猛な怒りを受けながら、家康はぼろぼろの心を振り絞って言った。

「…今の、おまえの周りには、刑部や元親がいるだろう…?」

しかし、その言葉に三成の怒りはとっくに頂点を超えていたにも関わらず無限ともいえるほどに爆発して喉から血が溢れるのではないかというほどに声を荒げた。

「ああ、いるとも!!だが誰も貴様の代わりにはなり得ない!!!貴様だけいればいい!!!この世に貴様と私だけがいればいい!!!何故それがわからない!!?」

三成の激しすぎる剣幕に家康は耐えきれずにふと体の力が抜け、それを三成が抱きかかえるように支えた。
この世から自ら命を絶とうとしていた家康は、その身を三成に託すように寄りかからせて最後の気を振り絞って静かに微笑んだ。

「…三成…もう、わしを殺してくれ…その手で、わしを殺すためにわしが必要なんだろう?―――っん!?」

家康の悲痛な願いがくぐもったのは、その唇が三成によって塞がれたためだった。
重ねられた唇は深く抉られ、きつく抱きしめられながら家康はそれを受け止めなければならなかった。
三成の、激しく熱い想いに困惑しながら。

「んんっ…っぁ……っ…ふ…」

散々に口内を荒らされた後ようやく解放された家康は、三成にしがみつきながらなんとか途切れ途切れの息を整えようとする。
まるでひどく求められているような情熱的な口付けに、何故こんなことを自分にするのかわからなくて家康は戸惑いながらも三成にこうされることをどこか喜んでいる自分を叱咤した。
穢れた自分が純粋な三成に触れられることは赦されない。
本当は触れたい、触れてほしい。けれど、この罪深き魂にそんな幸せをもたらす断罪など赦されるわけがない。

「家康…私を見ろ」

体をフェンスに押し付けられて顔の両側についた三成の腕に囲まれ、銀の髪に隠れることのないその木漏れ日のような瞳に射られて、それは懐かしき日々を思い出させた。
豊臣の旗にいた頃の、彼と駆け抜けた戦場。
二人だけで成したあとに思わず疲れて肩を寄せ合って眠ってしまった樹木の下。
すぐに苛立つ三成を宥める日々。
己を偽らない三成が闇にも光にも見え、その純粋さが羨ましかった。
そして、二人でならどんな戦場でも乗り越えられると、恐らく互いに思っていた。
けれど、家康が求めた夢は、秀吉を神とも讃える三成との未来ではなく、民が安心して暮らせる泰平の世。
それは国主として生まれたからではなく、あの時代に生まれたひとりの人として真に心の奥底から突き上げられる願いであって、それを叶えるために立場を利用したと言ってもいい。
そのために秀吉を討ち、三成をも手にかけた。
横たわる三成を目の前にした時、自分自身を失ったような感覚に陥ったのは確かだった。
三成との出逢いは誤算だった。
気付けば彼にどうしようもなく惹かれ、それまでに感じたことのない感情を憶え、狂おしいほどに心がざわめき、冷たい夜具の中に身を潜めて己を抱きしめながらただ彼の名を繰り返す夜もあった。
それでも。
このまま豊臣の元で彼と共にあってもいいかもしれないと思ってしまった瞬間があっても、既に重ねてきたものの重さと、これから豊臣が広げようとしている戦火と己の夢は決して交わらないことを確信し、立ち上がり夢を貫くしかなかった。
ただひたすらに、己の拳に罪を重ねる覚悟を決めて。
そうして彼の骸の前で流した涙を最後に彼への想いを封印し、安泰の世を作り上げた。
だが、ただでさえそんな激動の時代の、更にはすべての罪を背負おうとした己の記憶などこの時代にただの大学生になったばかりの今の自分には到底耐えられない。

「家康、私を見ろ。前世の私ではない、今の私だ」

先ほどまでの獰猛さが嘘のように静かに、愛しささえ含んだ聞いたことのない三成の声に、家康は現実に戻された。
そしてその春の木漏れ日のような澄んだ美しい色に見惚れ、吸い込まれるようにただ見つめ返した。

「私は今生何不自由なく生きてきたが、物心ついた頃からずっと何かが足りないと感じていた。自分の一部を失っているような、苛立ちや虚無のようなものを感じることもあった。だが貴様と出逢ってわかったのだ。この記憶はともかく、貴様は私の魂の半身なのだ。私の隣にいろ。すべてを分かち合え。貴様を呪うものなどあれば私が斬滅する。もう貴様が耐える必要はない。泣け、喚け。今の貴様は日ノ本の太陽ではない。私だけの…光だ。私だけを照らせ。私の隣で共に生きろ。それがわからないなら貴様を抱きしめたままここから飛び降りて次の世でやり直してやる。何度でも。貴様が私と共に生きることを認めるまで何度でも私を刻みつけてやる」

ひといきに綴られた三成の熾烈な想いに、家康は言葉を失った。
そして、見開かれた陽光色の瞳から雫が落ちる。
それは次から次へと溢れて止め方もわからず、ただ流れ続ける。

「それでいい。泣け、家康。私に顔を隠すな。貴様のすべては、私の前に」
「…う…っ…ぁ……うぅ…ッ…」

とめどなく流れ続ける涙は、形を変えて光となった。
その無数の光は家康の周りを包み込むように舞い、そして天へと昇っていく。
それはあたたかで怨嗟や悲憤などなく、家康が夢見た感謝や幸せに満ちた光たちだった。
嗚咽を漏らしながら涙を流し続け光を昇らせていく家康を、三成は優しく強く抱きしめてその解放の儀式が終わるのを待った。