闇に眠りし夢の間に間に - 1/3

彼はひとつ、恋をした。
ただ彼はそれを『恋』とは知らず、『絶望』だと思っていた。

石田三成と徳川家康が邂逅したのは戦場だった。
豊臣軍の将である三成は敵対する徳川軍の大将首を狙うために本陣にたどりつく。

「徳川家康だな。秀吉様の治世を煩わせるその罪、この石田三成が断罪に処する!」

居合の技を持つ三成は左手に持った鞘に収まったままの柄に手をかける。
闇の気を隠すことなく滾らせる三成を前に、家康は特殊な形の槍を右手に持ち立てたまま微動だにしなかった。
主君である秀吉の為に、味方からも残虐と恐れられるほどの殺戮を繰り返す三成の狂気にも満ちた眼光を前にした者が必ず表す恐怖、怯え、絶望。そういったものはひとつもなく、ただ真っ直ぐに凛と構えている。
それどころか口元には微笑さえ浮かべているではないか。
それも嘲笑うような笑みではない、どこか慈しむような…そんなくだらないものに思えて三成は苛立ちを感じた。

そうしてふたりは見合った。
否、見つめあった。

陽光を思わせる琥珀の瞳。
真っ直ぐに煌めくその瞳を、穢したいと思った。
絶望を与えたいと思った。
絶望を知らぬ者は愚かとさえ思う三成にとって、その光は禍々しく映る。
だが三成にとって光がないわけではない。
三成の光はただひとつ。
永遠に続くかと思われた絶望の沼にいた自分を救い上げてくれた、ただ一人。

「三成よ、引け」

その光の人物の声が、三成と家康の絡まる視線を断ち切った。

「秀吉様…!」
「今のお前には敵わぬ相手だ。引け。我が直々に下してくれるわ」
「しかしっ……っ、…いえ、申し訳ございません」

三成が下がると目の前に秀吉の巨体が進み、三成からは家康が隠された。
自らの唯一絶対の光を見上げ、三成は眩しさに目を細めた。
その向こうにも、淡くあたたかな光があるのを無意識に感じながら。

「さあ徳川家康。我に抗ってみせよ」

 

数日後。
家康は大坂城にいた。
先の戦いで敗れた家康は、秀吉の恩赦により首を討ち取られることなく傘下に加わることを許された。
否、秀吉は始めからそれを目的としていた。
殺すには惜しい存在だ。その、主に尽くす十万の兵と戦国最強はただ潰すには惜しい。
また、家康自身も戦闘術じたいはそれほど突出しているわけではないが、幾多の戦場をくぐり抜けてきたその洞察力、統率力、そして将としての器は目に見張るものがあり、まだまだ成長途中とはいえ躾がいのある青年だ。
三成はその戦い以降、相まみえた相手のことばかり考えていた。
あの、穢れを知らない瞳が脳裡に焼き付いて離れない。
戦場でこれから命の取り合いをするという時であるにも関わらず、あの陽光の瞳は妙に凪いでいて、どこか三成を包み込むようにあたたかさを持っていた。
それがひどく腹立たしい。
その男のことを考えながら城の廊下を歩いていた三成の前に、かの男が現れた。
金糸雀色の着物の上に藍住茶の羽織を纏った姿で向こうから歩いてくる。
明るい色を好まない豊臣の城で煩わしい色だ。

「石田、三成殿…」

三成の前で立ち止まり、静かにその名を呟くように声にしただけでそれ以上は何も言わなかった。
開け放たれた障子の向こうに広がる庭の木に、鳥の高い声がする。
互いに何も言わぬまま、あの時のようにどれだけの時間見つめ合ったか。
家康の方が根負けしたようにふと微笑んだのを機に、三成は男の横を抜けていった。

その晩、三成は家康に与えられた部屋を訪れた。
言葉を交わすことなく、ふたりは関係を持った。
それは決して甘やかなものではなく、家康の抵抗こそないものの陵辱に近い征服、支配する房事であった。

そしてそれは、日常的なものとなっていった。

 

豊臣による支配は留まることを知らず天下も目前の頃、秀吉は海外出兵を始めた。
同じ頃、家康は突然武器を捨て己の拳を持って戦うことを宣言した。
しかもそれだけではなく、『誰も殺さない』などと莫迦げたことを言い出したのだ。
当然三成は憤慨した。

「貴様!自分が何を言っているのかわかっているのか!戦場において誰も殺さないだと!?どうやって敵をひれ伏せさせるのだ!その絆などという甘言を戦場で一人一人に説くのか!?その間にも貴様は斬られ地に伏せてもそれを語るのか!?世迷言をほざくな!!」

般若のごとく吊り上げた目と眉で詰問しても、家康は怯むことなくただ僅かに顔を俯けた。

「わかっている。でも決めたんだ。お前にわかってくれとは言わない。これは…ワシがやらなければいけないことなんだ」
「そうやって貴様は手を汚さず他のものに殺戮を命じるのか。ふん、見損なったぞ。偽善者が!」

三成と家康は同じ戦場を任されることが多くなっていた。
だから三成は家康の戦い方を知っている。
その腕に迷いは見えても目の前の敵は確実に仕留めていた。
それを確かめるために、三成は死んでいると思われる兵たちの腕や足や首を落とすこともあった。
それは死んでいた。
家康が殺したのだ。
人を殺してきた者が、何故急に殺さないなどと言ったのか、三成は考えたくもなかった。
ただ、それは豊臣に属する者として役に立たないのではないかと、いらぬ者になるのではないかと。
そうなれば、この手でただ斬るだけだ。

次の戦場で、三成はいつも通りに敵を屠りながら家康の動きを目にした。
一体どうやって戦うつもりなのかと。
そこで三成が見たものは常識を逸脱していた。
家康が拳を振るった後には確かに敵は倒れていく。それは生きているのか死んでいるのかわからない。
恐らくは、生きている。気絶しているだけなのだろう。
しかも彼らは家康の重い拳を受けても傷を負っていない。
三成は、自分の前に立つ敵を目することなく刀を奮いながら家康を見つめ、目を見開く。
家康は光を打ち込んでいた。
拳が敵の腹にのめり込む寸前、淡い光が放たれその衝撃波のようなもので兵は倒れる。拳じたいはその体には届いていない。
そしてその光は相手の痛みさえも癒すのか、兵の顔に苦しみはない。
ただし、何故か家康の拳には傷が増えていく。
その光の力を使うたびに、敵は血を失うことはないのに家康の拳は血に滲んでいくのだ。
意味がわからなかった。
こんな戦い方が許されるのかと。
三成は、ただひたすらに自らに群がる敵を容赦なく屠ってその血を奪った。
家康が生かしている者たちをわざわざ追うのも莫迦らしかった。