栃木は日光東照宮。
一年中多くの観光客が訪れる由緒あるその場所に、この春中学三年生になった石田三成は修学旅行で訪れていた。
一クラスずつの生徒たちを乗せたバスを降り、輪王寺の前で教員が自由行動となることを告げる。
集合時間を告げられ、確認のために三成はちらりと腕時計を見た。
周りでは仲のよい友人同士が連れ立って一応は東照宮を目指していたが、三成は一人、ゆっくりとその地を確かめるように歩き出した。
輪王寺の敷地を出て砂利の緩い坂道を歩き階段を上がり、教員から配られたチケットを門の前で職員に見せて表門をくぐると、ぴりっと脳内に火花が散った気がした。
僅かに眉を顰め、だが特に疑問を抱くことはない。
何故だかそれを、当然のように、よくあることのように受け止めて三成は境内を進んだ。
写真を撮っている観光客の間から有名な三猿をちらりと見上げ、これもまた写真を撮ることに夢中な観光客を尻目に陽明門の前の階段下で立ち止まった。
右には鉄の灯籠。左には龍の鳴き声が聞けるというお堂。
ここは竜に守られている。
そんな気がして、三成は己でも何故だかわからないが小さく舌打ちをした。
黄金に輝く陽明門をくぐると、また脳内に先ほどよりも強い火花が散った。
三成は修学旅行に来ただけだ。この場所に、何の思い入れも特別な興味もない。
だから気にはしなかった。
そして、お賽銭もいれなければ拝殿にあがることもせず先へと進んだ。
眠り猫の前でまた観光客が数人スマートフォンをかざしていて邪魔だと思いながら木の板を踏む。
この先にあるのは奥宮であり、逆に言えば奥宮しかない。
観光客は大勢いたが、同じ学校の制服の者はもはやちらほらといるだけだった。
長い石段は三成には何の苦にもならないが、狭いその階段は時折人とすれ違う時に避けたり、前の人を抜かすことなどできず、だがそれに苛つくことはなくただ淡々とその階段を上がった。
思ったよりも時間がかかってようやく上がることができたそこには、また門があり拝殿があり、そして『それ』がある。
三成は、特に感慨なくあたりを見回した。
ここでもやはり観光客が何を撮影しているのか理解しているのか、連れ人たちと笑いながら写真を撮っていた。
ふと、何かが光った気がした。
こんな真昼間にフラッシュでもたいている者でもいたのか。
しかしもう一度見えたそれは、宝塔を囲んでいる低い塀の上を跳ねるように動いているのだ。
よく見ると、それは親指大で人の形をしていて三成にはよくわからないが和服、それもなんとなく『神さま』のような雰囲気に見える衣装を着て、全身から淡い光を発してぴょんぴょんと塀の上を歩いていた。
こんなに周りには人がいるのに、それに気付いているのは恐らく三成だけだった。
どこか楽しそうに跳ねて歩くそれを三成はじっと目で追った。
そうして三成の方へ近づいてくるそれと、確実に目が合った。
男の姿で短い黒髪のそれは、光と同じ金色の瞳を持っていた。
それは跳ねて歩くのをやめ、大きな瞳で三成をじっと見つめ、そして首を傾げた。
「お前、ワシが見えるのか?」
三成はそれに答えなかったが視線だけは外さなかった。
光の小人はそれを肯定と受け取り、いや、はじめからわかっていたのだろうが話しかけるきっかけとしたのだろう。
にこりと微笑んだ光の小人は、何故か腰に手を当てて偉そうにふんぞり返った。
「ワシが誰だかわかるか?」
「東照権現」
「おお、正解だ!中学生か?なのによく知っているな!」
「ここに来る前に調べた(修学旅行の予習として)」
「なるほど。偉い子だ!ここは一年中大勢の人が来るが、ワシのことを知っている者はほとんどいないだろうからなぁ」
笑んだままどこか遠くを見る目でそう呟くように言った自称神さまに、三成は自分では持ちえない感情を感じ、それを素直にそのまま口にした。
「寂しいのか?」
「まさか!皆が幸せでいてくれたらいい。ワシの願いはそれだけだ」
そう柔らかに微笑んだそれに、三成は何故だか無性に腹が立った。
何に苛ついているのか自分でわからないから、何でもいいからこの自称神さまに文句を言いたかった。
「貴様は何故そのような姿なのだ」
「うん?」
「大きさだ」
「ああ、ワシにもわからんよ。天がそういうふうにお創りになられたのだろう」
「貴様は徳川家康なのだろう?」
「ああ…そんな名前だったかな。ワシは人であった時のことは憶えていないのだ」
そう言ってまた淡く微笑む。
小さなそのからだにすべてを受け入れて包みこみ、安らぎと慈愛を与える。
そんな神さまなど…
三成は知らず、歯ぎしりを鳴らした。
だが、そんな三成に気づいているのかいないのか、その神さまは三成にあたたかな笑顔を贈った。
「今日はワシの命日でな。それで地上に降りてきてみたのだが、お前に会えて良かった」
「私に?」
「うん。ワシの名を知ってくれているお前に」
柔らかな陽の笑みを与えられた三成は、ぬくもりを感じるどころか雷に打たれたような衝撃を得た。
貴様…っ、何故、貴様がっ…!
どこから湧き上がってくるのかわからない衝動のままに、三成はその光る神さまに手を伸ばし掴んだ。
「!?」
掴めたことに三成自身も驚いた。
そしてそれを制服のシャツの胸のポケットに入れた。
「おい!何をするんだ!」
「煩い、貴様を連れて帰る」
「つ、連れて帰るってお前なっ…!」
突然の横暴な行動に出た三成に驚きと戸惑いで慌てている神さまだが、そこから飛び降りるなり飛んで逃げるなりできそうなものなのに、できないものなのかしないのか、そうはせずにただ三成のポケットから喚いているだけだった。
「ワシはここから出られん!出ることなどできんのだぞ!?」
この神さまがいくら喚いたところで三成にしか聞こえていない。
小さいくせに声だけは大きくて煩い奴だ、と眉を顰めながら三成は奥宮を出て邪魔な観光客を抜かしながら足早に階段を降り、あっという間に陽明門も表門さえもくぐり抜けてしまった。
その間ずっと、下ろせ戻せ駄目だ無理だと喚いていた神さまだったが、石鳥居が近づいてくるとおとなしくなり、鳥居の手前ではその小さな手でぎゅっと三成のポケットにしがみついた。
三成はそれをちらとだけ見て、速度を落とさないままに鳥居を通り抜けた。
「出たぞ」
三成がポケットを見ると、そこに神さまはいなかった。
漠然と空虚が広がった。
そして一瞬、世界が歪んだ気がした。
「いてててて…」
永遠にも思えた一瞬の静寂を破って三成の耳に聞こえたのは、どこか間の抜けた声。
声の方を見ると、尻餅をついたような姿勢で自分と同じ学校の制服を着た少年がいた。
「おっめぇ、ほんと無茶苦茶だな!三成!」
軽口を叩きながら腰をさすり、間違いなく自分の名を呼んだその少年に、三成は目を見開いた。
そして、その少年の胸の名札を見ると今度は目を細め、ふと口元を緩めた。
「集合時間10分前だ。早くしろ、家康」
名を呼ばれた少年はどこか得意げに、けれど呆れたように微笑んで三成を見上げている。
三成は手を差し出し、少年はそれを取って立ち上がった。
ふたり、並んで歩き出す。
「なあ、今日の昼飯ってどこで食べるんだ?」
「知らん。貴様は食うことばかりだな」
「だって400年ぶりに食べれるんだぞ!それに、早く大きくなっておめぇを追い越さないとな!」
「ふん、いくら食べても横に大きくなるだけだろう」
「なっ、おめぇ人をただ太ったみたいに言うなよ!おめぇだってなぁひょろひょろとっ――いたたっ何するんだ!三成!」
「縦にも横にも大きくなってもこのふくふくとした頬は変わらんだろう」
「ふくふくって何だ!わっ噛みつくな!」
「煩い、貴様は黙って私に食われていろ」
「ちょ、みつなっ」
「おーい石田ー徳川ーじゃれてないで早く集合しろー置いてくぞー」
東照宮。
かの公はそこに神として祀られてはいるが、いつからかご神体は行方不明となりそこにはないとの噂があるらしい―――