胸の記憶と痛みとやわらかさと

私には前世の記憶がある。
とはいっても前世で生きたであろうすべての記憶ではない。たったの一部しかない。
それは、前世の私が唯一心安らぐことができ、同じ時を分かち合ったはずのおっぱいだ。
私の手によく馴染み固すぎずやわらかすぎず、それに触れ、顔を寄せればひどく心地よい眠りに誘われる。
理想の妄想ではない。これは確かな記憶だ。
私の前世はあのおっぱいと共にあった。
この記憶に目覚めた時から私はずっとそのおっぱいを探し続けている。
出会う人、すれ違う人、男女問わず私の目に入る人間すべての胸を観察した。
もちろんそれは一瞬のことだ。凝視などしない。
ひと目、出会えば刹那に確信できるからだ。

そうして、ついに見つけたのだ!
あれは絶対に私のものであるはずだ!

「三河支店から転属になりました徳川家康です。大阪は初めてです。拙いところも多々あると思いますがご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。あ、あとおいしい海老天やさんがあったら教えてください!よろしくお願いします」

こんな時期に転勤とは珍しい十二月。
朝礼で挨拶を無駄な笑いに変えたその男は、私と同じように秀吉様の会社で働くことがそれほど嬉しいのか終始笑みを絶やさず全体を見回すように視線を巡らせた。
そして確実に私と目が合った。と思った瞬間、徳川家康と名乗ったその男は太陽のように眩しい笑みを浮かべたのだ。
くっ…なぜだ。胸が痛む…
しかしあれは絶対に私のものなのだ。
あの、スーツの上からでもはっきりとわかる胸の膨らみ(?)。
私が求め続けた前世を共にしたおっぱいの持ち主に間違いない。
あれを手にせずにこんなわけのわからぬ病に倒れるわけにはいかない。

「三成くん、そういうわけだからしばらく家康くんの面倒見てあげてね」

半兵衛様のお言葉に私は背筋を伸ばしてお答えした。

「はっ、かしこまりました。半兵衛様」
「はは、三成くん。いい加減様付けじゃなくて部長って呼んでほしいな。家康くん、ごめんね。あの子ちょっと変わってるけど悪い子じゃないから安心して」
「はい、竹中部長。石田さん、よろしくお願いします」

ちっ。
胸が痛むからその眩しい笑顔をやめろ。
それとなぜだかはわからないが、その顔その声に『石田さん』などと呼ばれるのは虫唾が走る。
しかし今この場でそれを告げるのは相応しくないと承知している。

「じゃあ家康くん。ちょっと他の部署にも挨拶回りに行くからついてきて」
「はい。よろしくお願いします!」

そうして私のおっぱいは半兵衛様に連れられて挨拶回りに行ってしまった。
先週半兵衛様より転勤してくる者にここでの仕事を教える役割は仰せつかっていた。
しかしそれがまさか私の探し求めていたおっぱいだったとはなんたる僥倖。
席も隣と聞いている。戻ってくれば私が手取り足取り教えることとなるのだ。
しかし見つけたはいいが私のものだとわからせるにはどうしたら良いのだ。
まずはその胸を掴んで癒しを得、それから顔を寄せる。そうして至上の悦びを更に求めて寝所に押し倒

「石田さん、石田さん?」
「三成だ」
「え?」

いつの間にか戻っていた私のおっぱいは席について私の顔を覗き込んでいた。
大きな甘そうな色の瞳が私を見つめている。

「私のことは三成でいい」
「そうですか?じゃあわしも家康と呼んでください」
「敬語はやめろ。私のことは伴侶だと思え」
「……?ああ、パートナーってことですか、あ、いや、ことか。慣れないこともあると思うけどよろしく頼む」
「ああ」

私の返事に私のおっぱ、いや、家康は陽光のようなあたたかな笑みを浮かべた。
私はそのあたたかさを、ひどく懐かしく感じた。

 

家康と出逢ってから三日、一週間と早々に過ぎていった。
大阪でのルールを教え、昼は毎日どこぞへと店に連れていった。
私はいつも社内の食堂で済ませていたが、家康とふたりになれる機会なのだからなるべく知った顔のいない場所に行きたいと思い、近辺のランチに詳しい金吾に問い詰めてとりあえずひと月分は良さげな店の情報を入手した。
そのあんちょこを片手に毎日家康とランチに繰り出している。
家康はその見た目の体格に合わず、意外と少食だった。
残すことなどは絶対にしないし、何でも非常にうまそうに食べるが、食べ終わると必ず大きなため息とともになぜか胸を押さえながら腹一杯だと言う。

「三成。おまえ、デザートも食べるのか?」
「当然だ。甘味を摂取しなくては頭が回らん」
「へーでも抹茶ぜんざいって何かおまえにぴったりだな」

家康はそう言って眩しそうに笑った。
だが眩しいのは私の方だ。
そして相変わらず時折胸の痛みは続いている。
だが病など気ひとつで治る。医者に行く暇など私にはない。

「わしも何か食べようかなぁ?」
「貴様はこれにしろ」
「…みかん大福?」
「トッピングに練乳だ」
「意味がわからんがおまえのおすすめなら食べておこう」

大福を頬張る家康を見て、私は一言、共食い…と漏らした。

 

あっという間に十二月も最終週になった。
家康との関係はうまくいっている。
毎日のランチと業務でのやり取り。互いに順調だ。
そろそろ新居の準備を始めなければいけないと思っている。
指輪はとうに準備してある。
家康には白無垢が似合うだろう。
盛大な式は必要ない。
秀吉様と半兵衛様と、刑部は必然。
仕方がないから金吾と官兵衛も呼んでやろう。
だが、実はまだ家康のおっぱいには触れていない。
さすがに同性とはいえ突然胸を触るのはいまやセクハラやパワハラと言われてしまうのは言わずもがな。
それでも私はそばにさえあればいいのだと。
記憶に残るおっぱいのあたたかさと同じ笑顔を私に向けるから、それで十分なのだ。
相変わらず時折胸が締めつけられるように痛むがそのうち治るだろう。

 

年の瀬も迫った明日は仕事納めという日。十二月二十六日。
なぜにこんな日にと恐らく誰もが思っただろうが忘年会が設定されていた。
私は本来このような会は好まないが、半兵衛様がなるべく出席した方がいいと仰るからできるだけ出席するようにしている。
今回は家康の歓迎会も兼ねているらしく、当然家康も出席している。
家康はこういう場が好きなのか、終始にこにこと私の隣で笑顔を振りまいている。
誰にでも笑顔で応えるのは正直面白くはない。
それに今日はひどく胸が痛む。痛むというよりはちりちりと燻ると言った方がいいかもしれない。

「三成、大丈夫か?」

家康が甘い色の大きな瞳で私を覗き込んでくる。
酒のせいか、頬はうっすらと朱がさし、その瞳は心なしか潤んでいるように見えた。
ああ胸が痛い。いや、胸ではなくもっと下の方か…?

「三成?」
「…ああ、問題ない」
「そうか?あまり気分良くなさそうだから」

良くはない。貴様が誰にでも愛想を振りまくからだ。

「はーいみんな注目してー特別ゲストのご登場だよ」

突然の半兵衛様のお声で私は背筋を伸ばした。
特別ゲスト…?
皆がざわついたところに登場したのは。
ひ、秀吉様…!?

一同しんとしたところに荘厳なお声が響いた。

「皆のもの。精進しろ」
「「「ははー!」」」

つつがなく忘年会は終了し、秀吉様のお声も聞くことができた私は今一度身も心も引き締めた。
店の外に出た皆が二次会に行く行かないの議論を交わしている。
明日も仕事だということを忘れるな。
隣にいた家康が私の顔を覗き込んでくる。

「三成は二次会行くのか?」
「行かん」
「そうか。じゃあわしも帰るかな」

そう言った家康はあたりをくるくると見回した。

「あれ?みんなもう行っちゃったのか。なあ三成。三成は電車か?駅はどっちだろう?」
「向こうだ。ついてこい」
「うん。ありがとう」

大阪の街にまだ慣れないのであろう家康がすれ違う人にぶつかりそうになりながら歩くのを、見るに見兼ねて腰に腕を回した。

「わっ」
「真っ直ぐ歩け」
「悪いな…おまえが隣にいたからつい飲みすぎてしまったよ」

まったくすまなそうにせずにそれどころかへにゃへにゃと笑う家康は、やわらかかった。

同じ方面だという家康と地下鉄に乗り、意外とすいている車内で家康を座らせ、私はその前に立った。

「? …おまえは座らないのか?こんなに空いてるのに」
「私はいい」
「じゃあわしも立つ」
「なぜだ」
「おまえの隣がいい」

立ち上がりかけた家康を制して私は家康の隣に座った。
電車では座らない主義だが家康を立たせるくらいなら譲歩しよう。

「ついたら起こしてくれ」

そう言って家康は私の肩に頭をもたれかけた。
家康の髪はどう整えているのか立てている割にはやわらかく、頬にくすぐったい。
すぐに静かな寝息が聞こえてきた。
ああ胸が痛い。いや、胸ではなくもっと下の方か…?

 

「家康。ついたぞ」
「ん…」
「立てるか」
「うん…あれ、おまえも降りるのか?」

家康の腰を支えながら地下鉄から降りると、家康は眠そうに目をぎゅっと瞑ってから大きな目で聞いてきた。

「私も最寄り駅だ。貴様の家はどこだ。送っていく」
「え、悪いなぁ。でも反対方向だったらひとりで帰れるぞ」

家康は遠慮があるのかないのかそう言いながら自分のスマートフォンを取り出して操作すると私に画面を見せた。
地図アプリに『自宅』と家のマークが表示されている。

「ここだ。おまえはどっちだ?」
「…その向かいだ」
「え?」
「向かいのマンションが私の自宅だ」
「そうなのか!何で今まで気づかなかったんだろうな!っておまえ、あそこ高そうなマンションじゃないか。同じ会社なのに何だか恥ずかしいなぁ。あはは」

話しながら改札を出て閑静な住宅街を歩く。
家康の腰に腕を回しているため、冬のコートやスーツ越しだが常に密着している。
直にそのあたたかさを感じることはできないが、私の隣で私の腕におさまっているというそれだけで満足感は大きい。

「半兵衛様に薦められただけだ。住むところなどどこでもいい」
「おまえ、本当に秀吉殿や半兵衛殿のこと好きなんだなぁ。お二人もおまえのことを気にかけているのがよく伝わってくるよ」
「私にとって秀吉様と半兵衛様は唯一無二の存在だ。お二人のお役に立てることが私の生きがいだ」
「うん。おまえの嘘偽りない真っ直ぐな気持ち、何だか羨ましいなぁ」
「羨ましい?貴様も秀吉様と半兵衛様の元で働いているではないか。何の不満がある」
「そうだなぁ、不満、か…ところで三成。わしは何でおまえのマンションと思われる部屋のベッドの上に寝転んでいるんだ?」

駅からの道のり、いまだふらついていた家康の腰を抱いて支えながら自分の部屋に家康をいれ、そのままベッドに転がしてその上に乗り上げた。

「胸を揉ませろ」

家康は呆けた表情で私を見あげる。
間の抜けた顔で二回ゆっくりと瞬きをしてから少し潤んだ目で私を見つめる。

「それは構わないが…わしの胸なんか揉んでどうするんだ?」
「どうもしない。貴様は私のものだからだ」

家康のコートとスーツのボタンをはずし、ワイシャツの上から触り心地を確かめる。
触れた瞬間、家康の体がぴくりと跳ねて少し強ばったようだがそれ以上の抵抗はない。
まずは片手で胸全体を包むように撫でる。
固すぎずやわらかすぎず私の手に馴染むこの感触。
記憶とは少し違うが、あまりの懐かしさに今すぐにそこに喰らいつきたい衝動に襲われた。
これこそ私の求めていたものだ!
反対の手も乗せ、やわやわと揉み込む。

「んっ…」

家康の喉から漏れた声に、下腹部が痛んだ。
おとなしく私の手に委ねていた家康だったが、今頃になって酔いが回ってきたのか顔を真っ赤にしていた。
そして止めようとしたいのか、というには恐る恐ると自分の手を家康の胸に這わせている私の手に軽く触れるように乗せた。
一瞬だけ目を合わせたがすぐに視線は外され、家康は私ではないどこかに視線を彷徨わせながら言った。

「…おまえの手……ずっと気になってた…」
「どういう意味だ」

私の問いに、家康はゆっくりと私を見上げ、今度ははっきりと視線を合わせた。
陽光のような色を持つ瞳は、潤んでしっとりと私を捕らえる。

「わしはずっと、おまえの手が気になっていたんだ。隣でキーボードを打つ手…わしはその手をなぜか知っている。こんなことを言えば笑うだろうが、わしの中では前世の記憶みたいにそれだけを鮮明に憶えているんだ。わしの知るおまえの手はそんな風には使われていなかったが、指や節、おまえのそれを見るたびに胸が締めつけられるように痛んで鼓動が早くなってしまう…それが今はわしに触れているだなんて信じられなくて…もうどうにかなってしまいそうだ」

家康は泣きそうにみえる笑顔をみせた。
私は衝動的に、そして本能的に家康の頬を押さえて唇に噛みついた。
噛みついて血の味を感じながら唇をこじ開けて舌を捻り込む。
ワイシャツのボタンを引き裂いて胸を露にさせて素肌に触れると、家康の体は大きく震えた。
家康の手が私の肩のあたりにしがみつく。
だが離そうとしているわけではなく、ただ掴まるところがほしかったのだろう。
唇から零れた唾液を伝うように首筋へと舌を這わせた。
やわらかな首筋にはなぜか噛みついて喰らいつきたくなる。

「っ…ぅ…!」

悶えるようにシーツを滑る足を足で押さえながら、私は家康の身体に赤い痕をつけ始めた。

 

明日は仕事納めという日だが、家康は出社できないかもしれない。
半兵衛様には私から詫びをいれておこう。

順番は狂ってしまったが、眠る家康の左手薬指に用意していた指輪をはめ、家康の瞳と同じ色のそれに、誓いの口づけをした。