寺の子三成と神さま家康

私は寺の長男として生まれた。
今年十二になる私はずっと疑問に思っていることがあった。
我が寺には松平家という家の墓が八代まで並んでいる。
つまり、八代で滅びたのだろう。
なぜ八代で滅びたのか。八代めは何をやらかしたのか。もしくは、九代めがいたが墓にすることさえ許されない何かをしたのか。
私は父に問うた。

「父上、なぜ松平家は八代で滅びたのですか?」
「うむ?ああ、それは違う」
「違う?」
「滅びたのではない。九代めの御方は、神となられたのだ」
「神…?」
「そう、我らを見守ってくださる神だ」
「仏ではなく神ですか」
「そう、神だ」

私はなぜか、そのことに納得がいかなかった。

ある日、松平家の墓が並ぶのが見える縁側の掃除をしようと水桶を持っていくと、墓の前に一匹の狸がいた。
狸は墓をじっと見ていたようだったが、悪さでもしにきたのかと、私は桶の水をかけてやろうと縁側を降りた。
私に気づいた狸が私を見、大層驚いた様子をみせて逃げた。
逃げたから私は桶を放り投げて追った。
寺の敷地を出て、森の中へ逃げていく狸を追っているうちに見知らぬ場所にきてしまった。
道など始めからなく、高い木に囲まれ、どこを見回しても同じ景色だった。
狸め。私だって今年十二になるのだ。こんな山奥にひとりになっても何もこわくはない…!どこへ逃げた!
しばらくあの狸を探して森の中を走り回ったが見つけられない。
ちっ、逃げられたか。
あたりは薄暗くなってきていた。
…帰らなければ、いけないと思う。父上と母上が心配してくれていると思う。
私は、寺の跡取り息子として、厳しくも大事に育てられていると、そうわかっている。
けれど…
太陽、を探せば帰る方角がわかるだろうか。
上を見上げようとして、上ではなく前方に太陽のよう光が見えた。
なぜ太陽のような、と思ったかというと、ただ眩しいのではなくあたたかさを感じたからだ。
光がゆっくりとこちらに近づいてくる。

「これはこれは…こんな山奥に童がひとり…迷子かな?」

光は男の姿をしていた。
いや、男が光をまとっているのか。
男はみだらに胸と腹が見える前身が開いた金色の長い衣を纏い、陽光のような金色の瞳を持ち、全身は淡く光を帯びている。
その光はあたたかい。柔らかな光だ。

「どこの子かな。ワシが送っていこう」

男は柔らかな笑みでそう言うが私は無性に腹が立った。

「ふざけるのもいい加減にしろ!」
「うん?」
「貴様、先ほどの狸だろう!」
「狸?」
「うまく人の形に化けたつもりのようだが耳としっぽが見えているぞ!」
「む、ワシとしたことが…」

少し悔しそうに、と言えばいいのか、そんな表情をした男だったが、ポンっと音をたてて耳としっぽが消えた。
そうすると、狸が人に化けたのか、あるいは人ではない何かが狸に化けていたのか、私にはわからなかったがそんなことはどうでも良かった。

「なぜ逃げた」

私の問いに、光をまとう男は驚いたように目を丸くした。
それから阿呆のように首を傾げる。

「なぜと言われてもなぁ。お前に追いかけられたからかな?」
「貴様が先に逃げた」
「そうだったかな」
「ふざけるな!」

この男はいつもそうだ。へらへらと適当なことを言って私の言葉をかわす。
私は勢いをつけて男に体当たりをするように懐に入り込んで一番近い木の幹に男を押し付けた。
逃げられないように全体重をかけて押さえこむ。
触れた肌は、あたたかかった。

「ぅわっ、…さすがに今のはちょっと痛かったぞ」

本当に痛いのか疑わしい男の体を全身で押さえ込みながら、頭ひとつ上にある男の顔を睨みつけた。
金色の瞳は、たぶん人ではない。もちろん狸でもない。
ならばこれは…

「私を連れて行け」

男の丸い目が大きく見開かれて零れ落ちそうだ。
だがふと、表情を変えて、なんといえば言いのか、そうだ、母上が私の頭を撫でてくれる時と同じような表情をした。

「困ったなぁ」

男は言葉どおり困ったように笑って私を見る。
そう言いながら、男の手が私の頭にそっと乗せられた。
そうしてやはり、母上のように頭を撫でられる。
母上に撫でられるよりも…あたたかくて気持ちいいと感じてしまう私は親不孝ものだろうか。

「連れて行かないのなら私は貴様をどこまでも追う。どこまでもだ!」
「そんなわがままを言わないでくれ、三成。ワシだって―――っ」

言い訳ばかりするその口を塞いだ。
今度こそ零れ落ちそうに見開かれている金色の瞳を捕まえるようにじっと見つめながら。
言葉を塞ぐために塞いだ柔らかな唇がもっと欲しくなって、私は逃げられないように胸を手のひらで掴むように押さえ、塞いだままの唇を刹那だけ離して角度を変えてもう一度塞ごうとした。
だがその隙に肩を掴まれて押し返されてしまった。小癪な奴め!

「ちょっ、待て!三成!」
「待てるものか!私を連れて行かないのなら今ここで貴様を喰らうぞ!家康!」

私はそう叫んで家康の剥き出しの首筋に噛みついた。

「つっ…」

家康の首は甘い。
喰らうつもりで噛みついたが、甘くて舐めてしまった。
家康が喉を鳴らすのがわかる。
私はふいにこわくなって家康の首から離れた。
家康が小さく息を吐く。
目を閉じて薄く口を開け、なぜか少し頬を赤くしている家康を見て、私はもっとこわくなった。
自分の内側から何か、知らない何かが溢れ出そうになったからだ。

「…三成?」

急に離れて俯く私を、家康が不安そうに?私の顔を覗き込んでくる。
離れたといっても手は家康の腕を掴んだままだ。
そんな顔をするな。私は今、貴様を喰らうつもりだったのだ!わかっているのか!

「三成。お前はここでしあわせに暮らしてくれ。ワシが見守っているから」

まるで優しくそう言われて、私は弾かれたように顔をあげて家康を睨みつけた。

「勝手なことを言うな!私のしあわせは私が決める」

家康の腕を掴んでいる手に力を込めると、家康は少し苦しそうに眉を寄せた。
連れて行けというのが私のわがままなら連れて行けないというのは貴様のわがままだろう?
家康はまた困ったような笑みを浮かべて、ひとつため息をついた。

「まいったなぁ…」

そう言って、私を突き放しもせず、連れていく覚悟もない。
弱くなったものだな、家康。
そのような光をまといながら、それほどまでに。

「わかった。もういい」
「え…?」
「帰る」
「え……あ、ああ、送っていこう」

私が踵を返して歩き始めると、家康がこっちだ、と逆方向を指さしたから、私は早足でそっちへ向かって歩き出した。

 

それから一言もしゃべらずに、気づけば見慣れた門の前に着いた。
私が門の前で足を止めると、家康も数歩後ろで止まった。
家康がじっと私の背中を見ているのがわかる。
さあ、考える時間は与えたぞ、家康。

「…達者でな、三成」

ふん、それが別れの言葉か?
だが私は気づいてしまった。その声がひそかに湿り震えていたことに。
振り返ろうとして。

「振り返るな!そのまま行ってくれ。お前が生きるべき場所はその向こうだ」

ああ、本当に貴様というやつは!虫唾が走るほどに傲慢で独りよがりの偽善者だ!
私は家康の言葉を無視して振り返った。
けれど、焚きつけてやろうと思っていた言葉はすべて瞬時に失われた。
家康は頭巾をかぶっていた。
そのうえうつむき加減で表情は見えないが、先に触れた柔らかな唇はぎゅっと引き結ばれていて、その頭巾の下から、ぽたぽたと、零れた透明な水が石畳に吸い込まれていく。

「家康…?」

名を呼ぶと、大げさにびくりと肩を震わせた。
私はゆっくりと近づいて、手を伸ばし、家康の頭巾を剥いだ。

 

そうして私は、二度と寺の門をくぐることはなかった。