酔いどれ

私ははじめ、それは家康のただの部下自慢だと思った。

「忠勝は本当にかっこいいなぁ。腕も指も胸も頑丈でなぁ」

大きな戦の後の宴会の最中、私の向かいに座している家康は隣の本多忠勝を彼方此方触りながら誰に言うでもなく褒め倒していたのだ。

「兜なんか最高だなぁ。それに兜の隙間から見える目なんか幼き頃からいつだって鼓動が高鳴ったものだ。あはは、内緒だぞ?」

いや、恐らく周りの者たちは聞いていないふりをしながらしっかり聞いているだろう。
本多は慣れているのか、微動だにせずに家康のしたいようにさせていた。

二度目に見た時は違和感を覚えた。

「官兵衛の腕、なかなか逞しいよなぁ?なあほらここの筋肉すごいな!」
「おいやめろ権現!触るな!」
「何だよいいじゃないか。なあ反対の腕も」
「やめろと言ってるだろ!これ以上小生の運を奪う気かぁ!?」

そして三度目にはっきりと気付いた。
家康は恐らく、酔うと右隣にいる者に絡むのだ。
その日はよりによって半兵衛様に絡みついたのだ。その場で斬滅してやりたいのを抑えるのに必死だった。

「半兵衛殿の瞳は不思議な色だよなぁ…」
「なんだい家康君。くずぐられたいのかい?」
「えっ、あ、いや、それは勘弁してくれ半兵衛殿、ははは」

さすがに半兵衛様の方が何枚も上手で家康はたじろいでいたが、半兵衛様は何かを思いついたように家康の着物の合わせ目をたどるように指を滑らされた。

「んっ…」
「ふふっ、そんな反応をされると何だか僕の悪戯心がくすぐられてしまうなぁ。あとで僕の部屋においで。しっかり躾してあげるから」

その後家康が半兵衛様のお部屋に赴いたのかは私の知らぬところだが、半兵衛様のお言葉を無下にしたとあらばそれは許し難いことだ!

 

そして今日、私はそれを確かめるために家康の隣に座った。
だが、予想に反して家康は私には目もくれず、反対側に座した者にだけ話しかけていたのだ。
そのことに私はなんとも言い難い気持ちになり、心が落ち着かず結局眠ることができなかった。

早朝にこの苛立ちのようなものをどうにかしようと、家康の屋敷へ向かった。
奴の屋敷には何度も訪れているから奴の部下たちも私を止めることなくただ遠巻きに見ている。
私は家康の部屋の障子戸を開けて踏み込んだ。

「家康!貴様まだ惰眠を貪っているのか!」

私は一睡もしていないというのに!

「ん…、み、三成⁉︎」

私に気付いた家康は慌てて四つん這いで布団から出て何かを探し始めた。

「ま、待ってくれ…!いま、整えるから!」
「何をだ」
「髪に決まってるだろ!」

私は意味がわからず、壁に据えられた低い棚に手を伸ばした家康のその手を掴んだ。

「っ…だ、ダメだ…見ないでくれ…っ」

両手を掴みあげると、家康は顔を俯けて眉間に皺が寄るほど目を固く瞑った。
何を見るなというのか。
確かに家康の髪はいつもと違い、前髪が全ておりて額を覆っている。
初めて見たが、それが何だというのだ。
秀吉様の御前に参ずる時ならともかく、私の前でそこまで畏まる必要などないというのに。
それとも、まさか家康が私に敬意でも表してその身を整えたいとでも?

「何故見るなと?」
「…み、みっともないだろ…」
「意味がわからん」

私がそのままに口にすると、家康は恐る恐るといった風に目を開けて私を見上げた。
ふん、たしかにいつものいっそ清々しいほどの額が見えていないとその丸い目がやけに幼く見えて一軍の将としてはみっともないな。
私が手を離すと私に見られたことは最早諦めたのか、髪はそのままにまた俯き、正座したまま膝の上で拳を握りしめていた。
こんなしおらしい家康を見たのは初めてで、私は早朝に来たことをそれだけで満足げに思った。

「三成…それで、こんな朝早くから何の用だ…?」

やはり見られたくないのか俯いたままの家康に問われてわざわざここに来た原因を思い出した。

「貴様、昨夜の宴において私が隣にいたにも関わらず一言も私には話さなかっただろう」
「…へ?」

驚いたように見上げてくる家康の顔は、何故かまた私を苛立たせた。

「平素は煩わしいほどに私に付き纏うくせに何故昨夜は反対側にいた者にだけ身を委ねたのだ!」
「委ねるって…そんな…」

戸惑う家康がいっそ憎らしく、帯刀していれば刃を向けていただろう。

「答えろ家康!貴様は酔うと右隣の者に絡む癖があるのだろう!それなのに何故昨夜は右にいた私ではなく左の者に絡んだのだ!」

私の剣幕に怯える家康ではないが、今の家康はどこかおどおどしく俯いて私の目から逃れた。

「…だって…三成にそんなこと、できるわけがないだろう…」

僅かに震えていたその声が言った言葉がどういう意味かはわからなかったが、私は苛立ちではない何かが内から湧き起こってくるのを感じた。

「おい、家康。顔をあげろ」

低く静かにそう言えば、家康はゆっくりと顔をあげて立ったままの私を見上げた。
これを見下ろすのは相当に気分がいい。
私は家康の顎を掬い、いつもは煩わしく笑ったりひとりで話しているくせに今は私の問いかけにはっきりとせず固く引き結ばれた唇に己のそれを重ねた。
家康の体が小さく跳ねたことにほくそ笑んで離れた。
眩しいほどの陽光の目を見開いて呆然としているその間抜け面が、声高に笑いたいくらい可笑しかった。
私を反故にするからだ。
意趣返しができたことに満足して、私は自分の屋敷に戻った。