学生と猫

わしは猫だ。
正真正銘、ネコ科の野良猫。
茶色の毛並みに金色の目。カッコいいだろう?ははは。
幼い頃に母親ときょうだいたちとはぐれてしまって、広い緑がある敷地に入り込んだら人間の若者たちが通う大学というところだった。
わしを見つけて気に入ってくれた学生が剣道部の裏にかくまってくれて、お礼にネズミ捕りをしてるうちに縄張りを広げて約5年。
今では大学の敷地内ほとんどがわしの場所だ。
そんなわしだが、特別に気に入っている場所がある。
剣道部の近くにあるベンチだ。
昼間はここに来る騒がしい学生もあまりいないから静かだし、陽当たりもよい。
騒がしいのが嫌いというわけではないが、寝る時はやはり騒がしくない方がいい。
時々学生や教授たちがわしを撫でにくる。
人間というものはどうやらわしのような生き物には優しくなるらしい。
わしも人間は大好きだし、彼らの膝の上にあがって撫でてもらうのが好きだ。

今日もわしはそのベンチでひとり寝そべっていた。
よく晴れていてとても気持ちいいが少し寒くなってきたから誰かにくっつきたい気分だった。
ああ、ちょうど誰かがこっちに向かってくる。
一人はサナダという学生だな。
最近わしを見つけてよく来てくれるようになった。
もう一人は…見たことのない、…珍しい銀色の髪をした恐らく学生…

「石田殿、ほら、あそこにいるのがその猫でござる」

サナダは他の人間とは少し変わったしゃべり方をするやつだ。
サナダはどうやら銀色の髪の彼にわしを見せたかったようだ。

「某も最近気付いたのでござるがよくここにいるようなのだ。佐助には似合わないと言われたが、かわいいと思う心は誰にでもあっておかしくないであろう!?」
「………」

サナダが連れてきた彼は無言だったが、返事がないことは気にしていないらしいサナダがわしの隣に座ったからぴょんと膝の上にあがった。
うん、やっぱり人間の膝の上はベンチよりあたたかくて気持ちがいい。
そして頭を撫でてくれる手も大きくてあたたかくて気持ちよかった。
せっかくうとうとしかけた時、サナダに膝からおろされてしまった。残念だ。
たいていの人間は自分が満足するとわしが眠る前におろしてどこかへ行ってしまうからな。
それでも、その誰かがいっときでも安らいだような優しい顔つきでわしを撫でてくれるのは好きだった。
おろされたわしはまたベンチで丸くなろうと思ったのだが。

「石田殿もここに座れば猫殿が寄ってきてくれるでござるよ」
「……」
「騙されたと思って座ってみてくださらんか。猫殿は…あたたかい光のような、我らを照らしてくれる太陽のような、とても、…心が穏やかになると同時に活力を溢れさせてくるような存在にござるよ」
「……」

サナダがわしのことをよくわからないけれどきっと褒めてくれているんだろうということはわかった。
それを聞いていた銀の髪の彼は、サナダの言葉に少し眉を寄せただけでやはり何も言わなかったが。
さあさあと促すサナダを振り切るほどではなく、おとなしくベンチに座った。
わしは、彼の膝に乗ろうとして、一瞬足を止めた。
見上げて、その翡翠の瞳とかち合う。
おかしい。なんと言っていいかわからないが、わしは、いつもより鼓動が早い気がする。
あまり乗り気ではなかっただろうにせっかく座ってくれた彼のためにも、わしは少し震える足で彼の膝にあがった。
落ち着く位置を探して前足の上に顎を乗せる。
……なんだろう。
ふいに、泣きたくなった。
猫に泣きたい気分なんてあるのかって?それはあるに決まってるさ。
嬉しい時、寂しい時、痛い時。
もちろん人間の前で泣いたりなんかしないけど。

「……」

恐る恐るといった感じで、わしの頭に彼の手が乗せられた。
他の人間より少し冷たい。
でも気持ちいい。
わしは、ゆっくりと彼を仰ぎ見た。
彼もじっとわしを見ている。
頭に乗せられた彼の手が、耳の付け根をたどって、顔の輪郭をなぞるように撫でてくる。
なぜだかわからないがぞくぞくして体が震えた。
彼の手は、壊れ物を扱うかのように慎重で、そんな手は知らない。
彼の手は、もっと、………
それに、どこかでこんな光景を見た気がする。
彼の膝の上で……いや、違う。視界は逆だ。
わしの、膝の上に、彼の銀の髪が落ちて、…彼の、きついけれど澄んだ翡翠の瞳がわしを見上げる。
彼の手が伸ばされて、少し乱暴なほどに頭を掴まれて、……っ……

「……い、…え、や……す……?」
「――――――!!」
「っ…」

わしは驚いて彼に爪をひっかけてしまって飛び降りた。

「ど、どうしたでござるか!?」

わしのめったにない動きにサナダも驚いているが、誰よりもわし自身が驚いている。
一瞬よぎった映像と、彼の、恐らく、わしを呼ぶ声。
わからない。
わからないけれど、ぞわぞわして落ち着かない。
どうしたらいいかわからない。
彼らの前から逃げ出すこともできない。
尻尾を太くして威嚇しているわしの前に、彼が片膝をついて見下ろしてきた。
わしが爪をひっかけたジーンズは小さな穴があきかけていた。
じっと見下ろしてくる彼に、わしは目を背けることもできず、ただ威嚇しているという建て前を見せた。
彼は…わしに手を伸ばしながら…
声にはならない声で…
たぶん、さっきの、わしの名前のようなものをもう一度呟いた。
そして、わしの心にも浮かび上がってくる、彼の。

……み、つ…な、…り……

目の前が真っ白になった。
いや、わしの前に、わしの世界にいるのは、彼ひとり。
この世界に、彼と、わしだけが存在する。
そんな世界を、望んだのは、彼か、わしなのか―――

 

「よう、真田に石田じゃねぇか」

世界は唐突に複雑になった。
わしは一気に体の力が抜けて、ぺたんと地面に伏せた。
銀の髪の彼は、わしに伸ばしかけていた手が中途半端となりまだ宙に浮いている。

「あんたらもこいつに会いにきたのか?」

そう言って彼はわしを抱き上げた。
彼は独眼竜。約5年前にわしを拾ってくれた男だ。今ではこの大学で教授というのをやっているらしい。
独眼竜という名前はわしが勝手にそう言っているだけで、特に誰かがそう呼んでいたわけではない。
彼は、出会った時からなぜだか竜のイメージがあって、右目に眼帯をしているから独眼竜だ。

「おお、教授も猫殿に会いに―――」
「貴様!!何の権利があって私からそれを奪う!!」

突然激しい剣幕で怒鳴った銀の髪の彼に、わしも独眼竜も驚いた。
びくりと体が跳ねてしまったのを、独眼竜が撫でてくれた。

「ああん?権利も何もねえがこいつを拾ったのは俺だ。どしゃ降りの雨の中ぴーぴー泣いてやがったからそこの部室でかくまってやったんだが…」

そ、そんな泣いてなどいないぞ…!

「石田、こいつが気に入ったのか?」
「っ……」
「こいつはここでみんなに可愛がられてるんだ。俺のものでもないがあんたのものでもないと思うぜ?」
「つべこべ言うな!!それは私のものだ!返せ!!」

急にわしを所有物扱いし始めた銀の髪の彼に、独眼竜はどこか面白がっているようだった。
サナダは暴れる銀の髪の彼を羽交い締めにして抑えていた。

「あんたはどうなんだ?ん?石田のところに行くか?」

問いかけてくる独眼竜に、わしは困って頭を摺り寄せた。
実のところ、怖いのだ。
銀の髪の彼は、なんだかわからないけれど、わしにとってきっと、特別な存在だということはわかる。
だから、怖い。
彼といて許されるのか、離れるべきなのか。
彼が望んでくれるなら、わしは……

「こいつはあんたのところには行きたくないみたいだぜ?」

違う、そうじゃない。
でもたぶん独眼竜もわかっていてわざとそう言っている気がする。

「それの意思など関係ない!私とともにあるべきものなのだ!だから私のものだ!」
「おうおう、わけのわからない所有権とは困ったもんだ。第一あんた、猫は飼ってもいい物件住まいかい?」
「―――!?」

独眼竜の指摘に、銀の髪の彼は虚を突かれたように固まった。
そうか、人間の家というところはそういう決まり事があるのだったな。
たいていの学生はよくわしを撫でながら、うちは猫飼っちゃだめなのよね~と言っているな。
しかし、彼はもしそれが許される住まいなら、本当にわしを連れて帰るつもりだったんだろうか…

「ちっ…覚えていろ!必ず来週までに猫可物件に引っ越してみせる!!」
「はんっ、面白い奴だ。なあ?いえやす?」

ああ、独眼竜…今、その名前を呼ぶのは…

「!?貴様!!何故それをその名で呼ぶ!?」
「何故ってなぁ、ここらを牛耳って平和を保ってんだ。いつぞやの征夷大将軍みたいだろ?ま、そう呼んでるのは俺だけだけどな」
「くっ…ますます許せん…!その名を呼んでいいのは私だけだ!日本史の教授といえど勝手な真似は許さん!!」
「前から変わった奴だとは思っていたが困った学生サンだな。おい真田、早くそいつを連れて帰ってやってくれ。石田、引っ越しが終わったらこいつを迎えに来いよ?剣で俺に勝てたら認めてやる」
「望むところだ!私が貴様ごときに負けるものか!」
「教授に向かってきく口かねぇ」

それから銀の髪の彼はサナダに引きずられるように去っていった…
なんだか思いもよらない展開になってしまったのだがどうしたことか…
わしは小さく鳴いて、ずっと撫でてくれている独眼竜の手に頬を摺り寄せた。
独眼竜はわしを甘やかすのがうまいのだ。

「さて、今日にも物件を決めてきそうな勢いだったな。…ずっとここで自由に暮らしてたあんたがあいつの家に行けば外には出してもらえなそうだが…それでもいいんだろう?」

そうだな。人間の家の中。というのはどういうところなのかわからないが、彼と一緒にいられるなら…

「人間って生き物は勝手なものさ。あの石田ってやつは何故だかあんたに相当執着しているらしい。逃げたくなったら逃げてきな。また俺がかくまってやるさ」

ああ、ありがとう。
だがきっとそれはないだろう。
わしはもう、彼に出会ってしまったから。
怖いけれど、それは楽しみで仕方なかった。