某は誇り高き三河武士。
徳川家康様にお仕えして早×年になり申す。
そもそも某は三河の出ではないのです。
戦場の跡地で放心状態にあった某に、家康様が手を伸ばしてくださったのです。
「大丈夫か?行く宛がないのならワシのところへ来るといい」
見知らぬ者と、昨日までの敵と新たな絆をつなぐ。
この時代にそんなことを本気で仰るのは家康様くらいでありましょう。
それでも、お声をいただいた某はこの御方を本当に信じていいのか、素直に従って良いものか幾ばくか迷っていたのであります。
しかしそんな某に、家康様は重ねて仰いました。
「どうした。故郷に家族でもあるならば三河に連れてくるといい。三河の者は皆、気さくにおまえたちを歓迎してくれるぞ?」
その眩しすぎる笑みに、ああ、この御方は真に太陽だと、心の奥底から思ったのです。
命を懸けてお守りします、と申し上げれば、
「何を言う、ワシのことはいいから自分自身と家族を守れ」
と当たり前のように仰る家康様が、それも我らのためか悔しくも豊臣に降ることとなりました。
それでも家康様のお言葉や振る舞いは変わることなく、いつも笑顔で我らに接してくださっていました。
豊臣傘下となってどれほど経った頃だったか。
恐れ多くも某が家康様に書状をお渡しする時に見えてしまったのは、喉輪とお召し物の僅かな隙間から覗く痛々しそうな”痕”でした。
まさか昨夜のうちに賊でも現れたのか…?と思ったものでしたが、御本人様が何も仰られないのに我らが騒ぎ立てをするわけにもいかず。
それでも某はつい口に出してしまったのです。
「あの、家康様。昨夜何かありましたか…?」
「ん?…特に変わったことはなかったが?」
僅かな間が気になったものの某ごときがそれ以上問うこともできず、家康様の笑顔に温まってその場を去ったのでした。
自分の持ち場へ戻る時、ふとあれはまるで歯形のようだった…と首を傾げたものです。
それからその”痕”を何度も見ることになり、はじめはひと月に一度、そのうちにひと月に二度、そして3日とあけずに見るようになったのです。
何故そのような位置に歯形のような痕が残っているのか、不思議でもあり心配も致しました。
しかし、ある時気付いてしまった、否、気付かされてしまったのです。
豊臣に降りてからの家康様は、豊臣の将である石田三成様と共にあることが多くありました。
三成様は気性の荒い御方で自軍からも少し疎まれているようにも見受けられましたが、家康様はいつもそんな三成様を宥め、何度手を振り払われても三成様を気にかけておられました。
ある日、某が家康様に書状をお渡ししその場でお読みになられているのを待っている間、某はまたあの”痕”があるのに気付いていました。
相変わらずそのことを問えずにいると、三成様が家康様の隣に立ち、じっと某と同じ位置を見ていたのです。
三成様なら家康様に何か問うのではないかと少しばかり期待したのは間違いで、三成様はあろうことかその”痕”を指でなぞられたのです。
某は思わず息を詰めてその指の動きに目を捕らわれていたのですが、家康様は書状を読みながらそっと優しく三成様の手を下ろしほんの一瞬だけ困ったような笑顔を三成様に向けたのです。
某は何か見てはいけないものを見てしまった衝撃に激しい動悸と喉の渇きを覚え、そして。
忘れたくても忘れられない、某に向けられる三成様の恐ろしい横顔を見てしまったのです。
それからのことはよく覚えていないのですが、恐らく家康様にお言付けを預かり、無意識のうちにそれは果たせたものだと信じているのであります。
あれから某は三河を守護するよう命を受け、家康様のお姿を拝したのは関ヶ原決戦の日の朝でした。
そして、幸運というべきか不運というべきか。
某はまたも見てしまったのです。
家康様の喉輪と戦装束の隙間のあの位置に。
あの頃何度も見た、痛々しいあの”痕”があるのを――――